(青山剛昌原作・小学館・週刊少年サンデー)
江戸川コナン 毛利蘭 毛利小五郎 灰原哀 吉田歩美 小嶋元太 円谷光彦 鈴木園子 小早川公子(21) 川口茂(21) 吉川経夫(60) 小早川秀子(48) 小早川繁俊 高橋久道 秘書 男A 男B ガイド アナウンス |
本編の主人公、正体は工藤新一 本編のヒロイン、新一の幼なじみ 蘭の父親で私立探偵 黒の組織から来た謎の少女、本名宮野志保 帝丹小学校に通うコナンのクラスメート 帝丹小学校に通うコナンのクラスメート 帝丹小学校に通うコナンのクラスメート 鈴木財閥の令嬢、蘭の同級生で親友 大学生 公子の友人、本名高橋厚 小早川家使用人 公子の母 公子の祖父 津和野の実業家、県会議員候補 秘書 サングラスの男 サングラスの男 ガイド アナウンス |
高山みなみ 山崎和佳奈 神谷明 林原めぐみ 岩居由希子 高木渉 大谷育江 松井菜桜子 杉本沙織 私市淳 渡部猛 中島千里 徳丸完 青森伸 大滝進矢 松本大 川村拓央 田浦環 柳沢栄治 |
ミシンではなく維新─11月29日、少年探偵団たちは、150年前の幕末に明治維新の指導者ととなる人材を教育した長州藩の偉大な賢人・吉田松陰が祀られている東京の松陰神社を訪問していました。
─松陰は日本中を旅して見聞を広めた勉強家だった。国を変えるために外国の制度も学んでいて、日本が鎖国していた当時西洋の文化を学びたい一心で命をかけてアメリカに密航しようとしたのだが、その願いは叶わぬまま処刑されてしまった…。
それでも久坂玄瑞、井上馨、伊藤博文ら松陰の教えを受けた弟子たちに彼の志は受け継がれ、世の中を変えていった─そんな日本人の心に響くであろう光彦の熱い話しぶりにコナンたちは思わず圧倒されますが、元を正せば今回の訪問、実は蘭と園子の日本史の宿題のためのもので、探偵団たちはオマケでついてきただけでした。
ところがそんな話をしていた時、事件が発生します。紺のスーツにサングラスの男が髪の長い若い女性が持っている「何か」を奪い取ろうとしているらしく、間一髪の所で探偵団たちが駆けつけたため事なきを得ますがコナンが駆けつけた時にはサングラスの男は既に車に乗って逃走した後でした。
脅迫されていた─事件の被害者の若い女性は毛利探偵事務所に連れられ小五郎から事情を聴かれるとそう答えたのでした。
「この日記帳を渡さないとひどい目に遭わせる。警察に言えば命の保証はない」─そんな電話が何度もかかってきていたらしいのですが、若い女性は犯人に心当たりはないといいます。
女性の持っていた「何か」=「日記帳」は随分と古びていたのですが、それは彼女の亡くなった祖父が遺したものでした。しかし中身はなぞなぞばかりで─
その若い女性─小早川公子の祖父は洒落っ気のある人物だったらしく、その日記帳によくなぞなぞを書いていたというのでした。しかしすべての謎の答えを聞く前に彼女の祖父は亡くなってしまった、それが5年前の今日だったというのです。
公子の祖父は吉田松陰が大好きだったらしく、それで彼女はその日松陰神社を訪れたらしいのですが……なぜ彼女の祖父の日記帳が狙われるのでしょうか!?
小五郎はその理由を解き明かすため公子の依頼を受けますが、その時コナンが公子が襲われた際に破れた日記帳の端の部分に何かの紙が挟まっている事に気づきます。
十一月三十日、夕暮れにのみ 宝の真実は照らしだされる。狐の謎を解け─
紙にはそう書かれており、更に公子の祖父は「ワシは国をかえるほどの素晴らしい宝を持っておるんじゃ─」と公子に言っていたというのでした。
しかし「狐の謎」とは一体…!? そう思っているとコナンが日記帳の中に一つの謎かけがある事に気づきます。
お堀にキツネが一匹と鯉が5匹書かれたそのページの右端には「きつねにこいをたべさせよ」の文字が。これは一体…!?
もしかしたら実家と何か関係があるのではという公子の言葉を聞いた小五郎は、お宝を見つける事など「夕飯前」だと大風呂敷を広げ、翌日彼女の実家のある島根県の津和野に向かうことになったのです。探偵事務所のそばで小五郎たちのやり取りを探っているサングラスの男が彼のボスと思われる人物と連絡を取っているとは知らずに……。
翌11月30日、新幹線の旅を経て新山口駅に到着した小五郎と蘭とコナン、そして依頼者の公子、それになぜかついてきた灰原と少年探偵団。
駅に到着した一行は津和野に向かうためにJR山口線に乗り換えようと移動を始めたのですが、そこで一人の男が近づいてきます。
その金髪に前髪のあたりを赤く染め、赤い上着にピアスをした男は公子の友達で川口茂。東京で公子が襲われたと聞き、気づかって迎えにきてくれたようでした。
川口茂を加えた一行はそれからSLやまぐちに乗車しますが、しばらくすると川口茂が席を立ちどこかへ、続いて小早川公子も席を立ちどこかへと消えていきます。
「いったいどういうつもり?」「オレの話も聞けよ!」─コナンが後を追いかけると、二人は何か言い合いをしている所でした。怪しい空気が漂う中列車は津和野駅へと到着し…。
小五郎たちが改札を出ると小早川家で使用人として働いている吉川経夫という年配の男性が出迎え、先に帰ったという川口茂以外は公子の実家がある小早川家に移動します。
駅前では山陰地方を中心に不動産や建設業、リゾート開発などを手広く手がけていて、今度県会議員に立候補するという高橋久道が選挙カーの上に立って演説をしている最中でした。
地域を活性化し、皆様の生活を豊かに。それができるのは自分を置いて他にない─そう力説する高橋の演説を聴いていた住民は彼なら安心だ、この町を一番愛していると彼を絶賛するのでしたが…。
その後一行は殿町通りを通って小早川家へ。小早川家に到着すると小五郎は公子の母・秀子の出迎えを受けます。すると何と小早川の実家でも最近泥棒に家の中を荒らさればかりだった事が判明したのです。
小早川家というのはこの地域では由緒があり地元の信頼も厚い名門の家柄で、終戦後「宝のおかげ」で再興されたのですが、公子の祖父はその影で大変な努力をしていたのであり、必ずしも「宝のおかげ」だけではなかったといいます。ところが実際そうは思わない者も多く小早川家を事ある毎に敵視しているというのです。そういう連中の中に日記を狙う人間がいるのでは…と小五郎は秀子や使用人の吉川の話を聞いて感じたのです。
秀子たちの話が終わると探偵団たちは出された山口名物のういろうを食べ始めます。ところが探偵団たちがういろうと食べている光景を見てコナンが何かを思いついたらしく……
コナンの推理で見事に次の暗号を見つけた小五郎たちは、次の暗号に書かれている地図が萩市の古い地図を書き写したものであることを知り、津和野から公子の祖父が好きだった吉田松陰ゆかりの地でもある山口県の萩へと向かうことになります。
萩に到着した一行は萩の昔の城下町そのままの街並みにいたく感心していましたが、そんな中で小五郎がお得意の迷推理を披露した時でした。何者かの気配を感じたコナンが白壁の影から気配のした方向を探ってみると……
萩の城下町で見た光景に驚きを隠せないコナンでしたが、一行はその後萩博物館、青木周弼旧宅、萩城址と各所を訪問していきます。そして萩城址でコナンたちを待ち受けていたのは……
蘭と園子の日本史の宿題のために東京の松陰神社を訪れていた少年探偵団たちは、紺のスーツにサングラスの男に襲われている若い女性を助けます。
その女性は小早川公子といい、男は彼女が持っていた祖父の日記帳を奪おうとしていた事が判明したのですが、日記帳はなぞなぞ好きな彼女の祖父が書いた謎ばかり、一体こんなものに何の価値が?
公子の相談を受けた小五郎は蘭とコナン、それに灰原と少年探偵団を引き連れて、日記に書かれているのとよく似た場所のある彼女の実家・島根県の津和野へと向かいます。
それから徐々に日記帳に書かれたなぞなぞは解読されていき、コナンたちは山口県の萩へと向かうことになったのですが、そこで彼らを待っていた事件とは…? そして公子の祖父が彼女に伝えていた「国が買えるほどの宝」というのは本当にあるのでしょうか?
小早川公子の祖父・小早川繁俊が考えたなぞなぞの一つ。答えは公子も教えてもらえなかったのですが、解答は本編をご覧ください。
今回の話には「小早川」と「吉川」という名字が登場します。また小五郎と蘭は「毛利」ですが、この3つの名字を聞いてピンと来た方は歴史好きか戦国ファンでしょう。
「毛利」というのは「三本の矢」の故事で有名な戦国大名・毛利元就が大きくした毛利氏で、元々は安芸(現在の広島県)に本拠を置き、戦国時代に中国地方で大変な勢力を誇った大名の名前です。
そして「吉川」と「小早川」はともにこの地域の有力な武家で、毛利元就の次男・元春が養子に入る形で吉川家を継いで吉川元春に、三男・隆景が同じく養子に入る形で小早川家を継いで小早川隆景となり、長男の隆元と兄弟三人で力を合わせて毛利家を支えていくようにと1557年に元就が書いた「三子教訓状」は三本の矢の故事として余りにも有名です。
その後元就が1571年に亡くなる時には長男の隆元は既に他界していたため、まだ若い孫の輝元が後を継ぐのですが、元春と隆景は父親の遺したこの言葉どおりに甥の輝元を支え、毛利家は秀吉の時代には周防・長門・安芸・石見・出雲・備後など8カ国に所領を持つ120万石の大大名となります。
しかし秀吉が没し徳川家康と石田三成が対立すると毛利輝元は関ヶ原の戦いで西軍総大将に祭り上げられてしまい、結果西軍が敗れたため、最終的に毛利家は周防・長門2ヶ国の37万石に減封されます。以後毛利家は広島に代わり山口の萩を本拠としました。
このような形で毛利家は長州藩となって江戸時代に突入する訳ですが、関ヶ原の戦いで大減封を受けていた経緯もあり幕末に長州藩は先頭を切って倒幕の道へと進んでいき、坂本龍馬の活躍による薩長同盟の締結、江戸無血開城で徳川幕府の終焉を経て明治政府が誕生。新政府には薩摩とともに長州出身の人物が多数を占めることになります。
今回はこの明治維新の舞台の一つとなった萩・津和野が事件で登場することもあり、この地に縁のある「吉川」と「小早川」の名前が登場したのだと思います。
幕末の時代を生きた長州藩士。幼い頃叔父の開いた松下村塾で学び、アヘン戦争(1840-42)で清がイギリスに敗れた事を知って西洋について学ぶために諸国を遊学。後に江戸で佐久間象山に師事し砲術や蘭学を学びました。
1853年の浦賀沖へのペリー来航の際には黒船を視察して感銘を受け、翌年黒船に侵入して海外渡航を企てますが失敗して投獄。その後出獄を許されると叔父の私塾を引き継いで松下村塾を開き、高杉晋作や久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋らに学問を教えました。
しかし1858年に江戸幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知り激怒し討幕を表明、それが原因で大老・井伊直弼による安政の大獄の際に江戸に送られて斬首を命じられます。
わずか30年の生涯でしたが、その思想は弟子たちに引き継がれ、後の倒幕運動や明治新政府の礎となっていったのでした。
新山口駅~津和野間を走る鉄道。期間限定で蒸気機関車が走っているそうです。沿線には湯田温泉もあります。
山口県の東部に隣接する島根県西部にある、昔の街並みが数多く残り「小京都」の代表格として有名な観光の町。幕末には亀井氏が治める津和野藩でしたが、長州藩の隣藩であったため長州の影響を受け行動を共にした藩士も多かったといいます。
またSLやまぐち号が新山口~津和野間を走っていることから、新山口や萩市を同時に訪れる観光客も多く、旅行のパンフレットでも「萩・津和野」とよくセットで書かれています。
ちなみに国民新党の亀井久興幹事長とその娘である亀井亜紀子参議院議員はこの津和野藩のお殿様の血を引いているそうです。
本作品では小早川公子の実家がある設定になっています。
津和野にある通りの名前で、白壁の土塀や武家屋敷の街並みが残され、城下町の風情を味わうことができます。
小早川家を訪れた小五郎たちに出された山口名物のお菓子。名古屋の名物としても有名ですが、もちもちしている名古屋のものとは違いこちらはプルプルしているのだそうです。
山口県東部にある町。前述の通り毛利家が周防・長門37万石の大名として江戸時代に本拠を置き、長州藩として幕末まで続きました。明治維新の際には薩長同盟を結んで倒幕を果たし、高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文、山縣有朋、井上馨など明治新政府に数多くの要人を送り込んだのはご承知の通りです。
そして作品内でも案内のあったとおり萩は昔の街並みが今も残されており、江戸時代の地図を見ながらでも現在の町を迷わず歩けるほどなのだとか。
また萩には250もの通りがあってそれぞれ名前がつけられているそうです。
萩・津和野を舞台にした今回の作品。JR西日本のミステリーツアーで企画されたもので、参加された方もいらっしゃるかと思います。
ちなみに私は高校時代の修学旅行が広島・萩で、萩の城下町や秋芳洞については観光したのははっきりと覚えています。クラスが何グループかに分かれレンタサイクルを借りて萩を回ったのですが、残念ながらそれ以上に具体的な事はもうほとんど忘れてしまっています。ちなみに広島についても路面電車がかなりインパクトがあってはっきり覚えているのですが、あとはあまり記憶がないです。当時の写真を引っ張り出せばあるかもしれませんが、まだデジカメもない時代だったので写真はそんなにないかもしれませんね。
そんな高校時代の思い出が結構曖昧なこともあり、今回のミステリーツアーが告知された時にはぜひとも行って当時の記憶を鮮明にと考えていたのですが、この時期は仕事に絡んでいろいろとあったためどうしてもゆっくりと時間が取れませんでした。残念ですがまた何かの機会で一度は行っておきたいなと思っています。ちなみに津和野の方は行ったかどうかすらまったく記憶がありません。
しかし高校時代は歴史、特に日本史は大の得意で大学受験でも自分の得点源となり何度も助けられたのですが、今振り返ってみると暗記だけしていたという印象しかありません。そのため吉田松陰というと安政の大獄で大老・井伊直弼の手により非業の死を遂げた悲劇の人という当時の印象でした。
ところが今この時代を振り返ってみると、日本人が自分の国を何とかして守ろうと、そのためにはどうしたらいいのかを真剣に考えていた熱い時代だということが強く伝わってきて、自分も熱い気持ちにさせられます。そして吉田松陰という人はまさしくその先駆けのような人で、今の混乱の時代だからこそ尚更その熱い志には共感してしまいます。
今回はそういう視点で見るととてもいい話なのですが、ミステリー部分は過去のミステリーツアーと比べても少し簡単ではなかったかという印象でイマイチ物足りないかもしれません。
お揃いのペンダントで川口茂と小早川公子がどういう関係かすぐ分かりますし、川口茂の正体も公子が住民の話を聞いた時の表情を見れば想像できてしまいます。
そしてそうなってくると公子の母親は論外な以上あの使用人の吉川が臭いということになり、更に彼が次は何処どこへ行きますと言って向かった先々でサングラスの男がいれば、使用人に誘導されているなと何となく分かっていきますよね。ちなみに私は吉川が「次は城址へ行ってみましょう」と言ってそこで誘拐事件が起きた瞬間にこいつは臭いと直感で感じました。その後の警察を呼んでくれと言われた後の態度も妙でしたしね。
それから「買える」が実は「変える」だったというのは毛利探偵事務所にいた際に公子の祖父の回想シーンの時に既に感じていました。なぜならあの流れだと「国を買える」ではなく「国が買える」じゃないと変に感じたからです。しかしその時は「国を変える」ほどの宝というものの意味はまったく分かりませんでしたが、オチはまあ大体こんなものだろうといいう気はしていました。宝探しをした時によくあるパターンですし、コナンでも同じようなオチは33「探偵団サバイバル事件」でありました。
ということで個人的には松陰先生の熱い思いが伝わってきていい話だと思いましたし、最後のエラー切手のオチもなかなか良かったと思います。ただこの松陰先生の熱い志を小学生諸君に理解してくれと言っても、多分大人にならないと分からないのではないかなとは思います。それは冒頭で光彦が松陰先生の事を熱く語っていた時のそれ以外の人間の反応と同じでしょうね。
島根県の津和野町にある「津和野おいなりさん」と呼ばれる神社。日本五大稲荷の一つですがこの神社だけ「稲成」と書くそうです。コナンが元太が食べたういろうの包み紙を手にしているのを見て日記帳のなぞなぞを解き訪れました。表参道には1000基の鳥居があるそうで、お狐様の大好物の油揚げを奉納していましたよね。
ちなみに次のなぞなぞは「かくれいなりのうえのした」、更にその次のなぞなぞは「猫の目に城を映せ 鼠の下をみよ」でした。
猫の絵が示していた場所。第三十六童子霊場 第八番札所。伊藤博文や高杉晋作が小さい頃にここで学んだそうです。境内には石づくりの灯籠がありそこにまた暗号がありました。
山口県美祢市にある鍾乳洞で、特別天然記念物に指定されており、東洋一大きな鍾乳洞として知られているそうです。
作品で紹介された通り、外からの光が水に反射して天井を青く染める青天井や長淵、百枚皿、洞内富士、南瓜岩、大松茸、すぼ柿、縮緬岩などの不思議な光景が見られます。出口は黒谷口というのがありました。そしてその先には秋吉台が。
何事をするにも志がなければ意味がないとか、志を立てることこそがすべての源となる、という吉田松陰の教えです。今の政治に欠けている事かもしれませんね。
幕末に長州藩士の吉田松陰が1855年に開いた私塾。松陰の叔父の開いた塾を引き継ぎ長州藩の城下町・山口県萩市内に開設されましたが、1858年の安政の大獄で吉田松陰が処刑されたため廃止となりました。
安政の大獄とは江戸幕府による反対勢力の弾圧で、勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印するなどの強引な手法が目立った大老井伊直弼に反発する者たちへの見せしめでした。
しかし井伊直弼はこういった一連のやり方で恨みを買い、1860年に起きた桜田門外の変で暗殺されてしまうのは有名な話です。
安政の大獄で松陰は亡くなりますが、この塾で教えを受けた人物の中には久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋など、明治維新から明治時代にかけて大活躍した人物が数多くいます。
通常印刷した際にミスがあった場合には破棄されるものですが、100%それを防ぐことは難しく中には市場に出回ってしまうことがあるそうです。
そういったものを「エラー切手」と呼び、切手のコレクターの間ではその希少性と珍重さから大変な価格がつくそうです。