映画「迷宮の十字路」聖地巡礼の旅 戻橋(一條戻橋)

「迷宮の十字路」の物語の後半、平次とコナンが仏光寺を訪れ、平次が倒れたちょうどその時、灰原哀が訪れていた場所です。
そしてコナンから電話がかかってきて、体を元に戻す薬の製作を依頼される場面です。

まず上記は冒頭の橋の戻橋表示のアップです。

橋自体は何度も架け直されていますが、平安京造営当時からこの位置に橋があったそうです。
現在の橋は1995年(平成7年)に建て替えられたもので、その前の代の橋については約100m北にある晴明神社に欄干の親柱を使って再現された橋が残っています。

平安京の当時は堀川より西側の右京は湿地帯が多く、病気も流行ったりで衰退が著しかったそうで、そのせいかこの橋を渡る行為そのものに特別な意味合いが生じ、様々な伝承が生まれてきました。

一番よく知られているのが映画でも説明された死者が甦った伝説で、平安中期に文章博士の三善清行の葬列がこの橋にさしかかった時、修験道の修行より駆けつけた息子の浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)が父の棺に向かって読経すると、父は息を吹き返し、親子は涙の再会を果たしたという話です。
これによって死者が戻る橋として現在の名がついたといいます。

ちなみに浄蔵貴所という人物は他にも京都にある五重塔の一つで、東山のシンボルである八坂の塔が傾いた際にこれを元に戻したなど、様々な超人的な伝説を持っていて、京都三大祭の一つである「祇園祭」の山鉾の一つである「山伏山」の御神体にもなっている方です。

また他にも前述の晴明神社のご祭神で陰陽師として近年人気を集めている安倍晴明が式神を屋敷のそばにあった戻橋の下に潜ませ、予言や占いの際に操ったという伝説や、有名な「平家物語」では源頼光の四天王の一人である渡辺綱が鬼女の腕を太刀で切り落とした場所としても有名なほか、現在でも「戻る」を嫌って嫁入りの際には、この橋を渡らないのが習わしとされています。

「一條(一条)」の由来については、平安京の東西を走る一条大路を渡ることからで、現在も一条通が通っています。

京都では北から順に一条、二条、三条と下がっていき、京都駅のすぐ南が八条で、九条、十条まであります。

ただ一条通は丸太町通よりも北側に位置していて、映画にも登場した「丸竹夷」の通りの数え歌には入っていません。
実はあの歌の前には

鞍や寺 上立 五つ 今や元
武 一 中立 長者 三通り
出水 下 椹木

すなわち丸太町通の北側には

鞍馬口通り(くらまぐち)
寺之内通り(てらのうち)
上立売通り(かみだちうり)
五辻通り(いつつじ)
今出川通り(いまでがわ)
元誓願寺通り(もとせいがんじ)
武者小路通り(むしゃのこうじ)
一条通り(いちじょう)
中立売通り(なかだちうり)
上長者町通り(かみちょうじゃまち)
中長者町通り(なかちょうじゃまち)
下長者町通り(しもちょうじゃまち)
出水通り(でみず)
下立売通り(しもだちうり)
椹木町通り(さわらぎちょう)

という通りが存在し、そこから丸竹夷がはじまるのですが、通り歌としてはまったく知られていません。

確かに丸太町より南ほど碁盤の目にはなっていない気もしますが、特に今出川通は現在の京都御所の北側を走り、道幅も広く主要な通りの一つですし、鞍馬口通も地下鉄の駅名にもなっていてよく知られている通りの一つです。

そして更に更に現在の京都市では鞍馬口通より北側にも北山通や北大路通などもあり、京都の東西を走る通りをすべてカバーしている訳ではありません。

なぜ丸太町通から歌がはじまっているのかについては、正直確かな情報がありませんでした。

若干引いたアングルで橋の全景。
西詰の堀川通側から見た様子です。
堀川通は京都の中心部を南北を走る通りの名前で、京都でも有数の道幅の広い道路の一つで主要な通りです。

京都駅の八条口の西側から北へ伸びていき、途中には世界遺産の西本願寺、二条城、そして陰陽師・安倍晴明を祀ることで知られる晴明神社などが道沿いにあり、最後は鴨川の上流の方でこれまた世界遺産の上賀茂神社のすぐ南側に突き当たります。

ちなみに橋という以上、当然橋の下に川が流れている訳ですが、堀川といって、すぐ横を走る堀川通の名前の由来にもなっている川です。

平安時代から京都の中心を流れていましたが、急激な都市化や改修工事が繰り返された結果、昭和30年代ぐらいに一度枯渇し、流れのない川になっていました。

しかし環境整備事業が進められ、2009年(平成11年)に清流が復活し、現在は真夏の8月に「京の七夕」という行事の堀川会場が設けられたり、また市民憩いの場としても親しまれています。

「迷宮の十字路」は2003年(平成5年)の公開ですから、当時は流れが途絶えていたはずで、灰原哀も堀川の流れを見ることはなかったはずですが、ここにも時代の流れを感じてしまいますね。

父の死を遠くで聞いた子が急いで京都に戻ってみると、とここから戻橋の駒札(説明板)の内容がテロップで紹介されていきます。

その葬列はちょうどこの橋を通っていた。
そのとき父は一時的に蘇生し、
父と子は言葉を交わしたという伝説がある。

映画では木製の駒札でしたが、現在は金属製のものに変わっています。
これも時代の流れでしょうか。

ただし京都では他の観光名所案内の駒札は木製のものがまだまだ圧倒的に多い気がします。
そして中には色褪せてしまってまったく読めないものもあったりで、何とかして欲しいと思うことがあります。

とここで灰原哀に電話がかかってきて、電話を取り話はじめるシーンです。
ちょうど駒札の真ん前に立っていました。

駒札のすぐ横には柳の木があり、これが橋に趣きを添えてくれています。
この柳の木は現在も健在なのか、映画当時とは別のものが植えられたのかまでは判りませんでした。

そして背後に見える桜は早咲きの河津桜で、撮影に訪れた時期にはもうだいぶ葉桜化が進んでいました。

その河津桜のアップです。

最後に橋を遠景で東側から撮影したものです
奥を通っているのが堀川通で、堀川通は前述のようにかなり大きな通りで、周辺にはマンションなども数多く立ち並んでいてどちらかというと都会的な雰囲気のある場所です。

いかがでしたでしょうか?

一条戻橋は映画「迷宮の十字路」で登場したスポットの中ではやや北側にあってアクセスしづらい位置にあり、また観光名所の一つですが、これ一つで長い時間を過ごせるスポットでもありません。

現在は堀川が復活して川沿いを散策しながら二条城まで向かう、あるいは二条城から戻橋へ向かうというのもいいと思いますし、また晴明神社にも近く、映画にも登場した京都府警にも近いので、これらとセットで回るのもいいかもしれません。

最寄の電車の駅は地下鉄烏丸線「今出川」駅でそこからも徒歩約15分とやや距離がありますが、バス停は市バス「一条戻橋・晴明神社前」からすぐです。

TOPへ

名探偵コナンカレンダー

×